変性意識状態への導入方法

私が初めて変性意識状態を体験したのは10歳の時で、引田天功(初代)さんのステージ上に招かれて、催眠術をかけられたときでした。それから子供だった私はこの催眠術の虜となりました。あの不思議な感覚を自分で再現することが、大きな夢になったのです。幸い父が天功さんと知り合いだったため、特別に楽屋に入れていただいたり、簡単なマジックを教えていただいたりしました。催眠術についても、その時いろいろと教えていただきました。まあ所詮10歳の子供なので、理解できることはたかがしれていましたが、子供相手に親切に教えてくださった、あの優しい天功さんの笑顔はいまでも忘れられません。
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引田天功さんの催眠術の成功は2つあると考えます。一つはテレビでタレントを使ったこと、もう一つはマジックショーという場所で、観客をステージにあげて催眠術をかけたことだと思います。当然、テレビはエンターテイメントなので、若干の脚本(またはやらせ)はあったでしょうが、催眠術の対象をタレントにしたのは非常に理にかなっていると思います。一般の人と違いタレントにはギャランティーが発生しますから、もしテレビの収録中に催眠術にかからなければ、番組はめちゃめちゃになります。当然タレントには番組にどれだけの人が働いていて、どれだけのコストがかかっているかわかっていますし、自分に対する期待も十分承知です。このような環境でタレントは期待に応えようとするので、当然催眠にかかりやすくなるのです。

もう一つの要因として、観客がいっぱいいるマジックショーのステージで、一般のお客さんを被催眠術者に選んだことです。当然サクラもいたかもしれませんが(エンターテイメントですから)、ここでもステージにあげられた観客は期待に応えようと催眠術にかかりやすくなるのです。マジックショーのステージという、普通で無い状態は、まさに変性意識状態を作るのに最適で、催眠術の導入にはもってこいです。このように日頃体験できないような体験をすることで、意識は変性状態に陥りやすくなります。また自分に対する期待も、答えようとする心理から催眠術にかかりやすくなります。

変性意識状態への導入は天功さんのように変性意識状態になりやすい環境づくりが非常に大切だと思います。宗教家がキラキラとする服を着て、かがり火を焚いたような祭壇の前に信者を連れて行くのも、非日常性が変性意識状態を作るのに適しているのです。環境作りこそが変性意識状態への導入の第一歩になります。

もしお金に余裕があるのなら、変性意識状態への導入のためには、私は「お茶室」を作ることをお薦めします。まさにお茶室は変性意識状態を作るのに最適だと思うからです。長いお茶の歴史の中で、最も有名な人をあげろといえば、間違いなく『千利休』があげられるでしょう。なぜ千利休はお茶の歴史の中で最も有名な人になったのか?なぜ430年もたった今も利休式の茶道だけが生き残っているのでしょう?なぜお茶は「御茶湯御政道」のように政治をも動かしたのでしょう?そこに茶室と変性意識状態の謎があります。

お茶室というと、あの薄暗く狭いお茶室を思い出す人が多いでしょう。あのお茶室を「数寄屋造り」といいます。もともと「数寄屋」は四畳半以下小規模の座敷を呼んでいました。利休以前の茶室は「書院造り」と呼ばれ、床の間、棚、付書院を備え、座敷を立派に見せるものでした。茶室が身分や格式を維持する役割も持つ時代の中で、利休は格式ばった意匠や豪華な装飾をきらい、当時の庶民の住宅に使われる「藁が入った土壁」のような粗末な材料や技術を採用しました。(逆に今では特別に高価で、高度な技術を要する高級建築の代名詞になってしまいましたが・・・)

元々お茶自体が非常に高級品で、茶の湯の「茶道具」は現代のお金にすると数百億円をくだらないものが沢山ありました。そのような道具を「名物」と呼び珍重してきたのです。織田信長は、この茶の湯に非常に関心を示し、政治に利用したのです。永禄12年(1569年)以降、信長は「名物茶道具」を収集する「名物狩り」を行うようになり、こうして手に入れた茶道具は、家臣に恩賞として与え、政治的な目的で利用しました。これを「御茶湯御政道」と呼びます。

現代でも、中国における「良いお茶」の値段は非常に高価で、最も高いお茶は「大紅袍(だいこうほう)」と呼ばれ100g=1200万円という値段で取引されています。一回のお茶に使用する茶葉が5gだとすると、1ポットの値段は60万円になり、ほぼ最高級のワイン「ロマネコンティー」に匹敵します。アヘン戦争やアメリカ独立の原因になった「お茶」は歴史的にみても非常に高級なものであると言えましょう。お茶についての詳しいことは別途エッセイの方に書いていきたいと思います。

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利休の時代には、お茶をすることは限りない財力が必要でしたが、利休はあえてこのようなきらびやかなお茶の湯ではなく、「侘び」という非常に質素なお茶を目指したのです。三畳ほどのほとんど光の入らない、粗末な土壁の茶室は、当時の権力者には逆に新鮮で、あっという間に「佗茶」が茶道の主流になって現代に至っているのです。茶やお香の香り、外部から遮断された暗い密室で、もてなす側ともてなされる者との距離を縮め、一体感を感じさせる。まさに「変性意識状態」に導くのにぴったりの環境だったのです。そのために明るく豪華な「書院造りの茶室」より、「数寄屋造りの茶室」の方が茶室のイメージとして、ときの人々に刻み込まれたのです。

お茶はいつの時代でもハイソサエティーな「セレブ文化」の代名詞でありましたが、豪華な暮らしをしているセレブ達にとって、粗末な「侘びの世界」に身を置くことは、大変新鮮に思えたのでしょう。利休はこのセレブ文化を、表面上は誰でも楽しめる(茶釜一つあれば誰でもできる)スタイルにプロデュースしていったのです。

変性意識状態の導入としてはこのような、日常から脱却した空間に身を置くことこそ、最も簡単に変性意識状態へ誘導できると私は考えます。

<コンテンツ>
奇跡を生む変性意識状態のカラクリ
身体を支配する心の理論
変性意識状態への導入方法
変性意識状態へ導く音楽
史上最大の成功者を導いた理論
潜在意識が一瞬で目覚める香り

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Copyright © 2018 Richard Iwaki